先生って、筆記具マニアな方多くないですか?自分のお気に入りのボールペンや赤ペンなど、書き味や線の太さ、持ったときの具合など、様々ありますね。私も普段買うペンは決まっていて、大体は3色ボールペン(ゼブラ クリップオン-スリム3C 透明)、必要に応じてフリクションペン(LKFB-3SEF-BN 0.5mm ブラウン)、(LFBK-23EF-G)の3つを使っています。 さて、今回も質問が来ているようです。
「寺本先生がお答えします!」のコーナーでは、実際に受けた質問をもとにお答えしています。ご質問は、ページ下の「質問受付フォーム」にて常時承っています。
「問題の見いだし」をどのタイミングで評価するのですか?
これまで、「問題解決の過程」という、問題解決の流れはいろいろなところで聞いていると思いますが、「問題の見いだし」を評価するタイミングは、もう少し緻密に展開を考えた方が良さそうです。
問題の見いだしの場面の授業展開を、緻密に考えてみる
問題解決の過程や、「問題解決の力」は以下のようになっていることは既に別のブログでもご紹介したところです。
この「問題の見いだし」について、第3学年では主に「思考・判断・表現」の観点として評価することになります。
しかしながら、これまでの「問題解決の過程」をみて、実際に授業を考えることになると、かなりざっくりとしてことがわかります。なぜならば、子ども一人ひとりが自分の力で問題を見いだしているかどうかを評価する際は、ノートに書かせるなどしないと見取ることが難しいからです。これまでは、一人ひとりが問題を見いだしていたかどうかは、評価としては特に求められていませんでした。そのため、大体の授業では「学級としての問題」を作るために、疑問を持っている一部の子どもを当て、教師の都合良く問題を作っていました(一部は、先生が児童に与えてしまっていたかもしれません)。では、いつ、どのタイミングでノートに書かせる必要があるのか?下手をすると、他人の考えを丸写ししてしまって、評価できないと言うことにもなりかねません。そのため、緻密な授業展開を考える必要があるのです。
上の2つの図は、問題の見いだしを評価するために、問題解決の過程をさらに緻密に授業展開を考えたものです。
その記述、「疑問」レベルか?「問題」か?
私の考えは、問題は「実際に自分で解決可能なもの」と考えているため、検証できないものは「疑問」としています。「問題」は「疑問」の中に含まれているものとしています。
そのように考えると、最初から問題を出すことは難しく、「個人が自然事象からたくさんの疑問を発見」→「個人が感じた疑問を学級で共有」→「発見したたくさんの疑問から自分の問題を設定」→「各自の問題を持ち寄り、学級の問題を設定」という手順になると考えられます。
このような手順になった場合、授業の展開やノートに書かせるタイミングが見えてきます。(図をご覧下さい)
評価をするとすれば、2つのタイミングのパターンがあります。
【「自然事象に対する気づき」の段階で問題が見出せるパターン】内容や、児童によっては、最初の段階から問題を見出せる児童がいるかもしれません。この場合は、学級全体の状況を見つつ、疑問をたくさん挙げている段階であっても、問題を書かせておく必要があります。学級として、問題の書き方がわかってくると、このように最初か書ける児童が増えると考えられます。
【各自の疑問を共有してから自分の問題が見出せるパターン】問題の書き方など十分に育っていない場合や、内容として問題が最初か出しにくい場合があります。この場合は、上の図にあるように、まずは疑問をたくさん挙げるようにして、それから問題を考えさせる段階を踏むとよいでしょう。
その記述、「個人の」問題か?「学級の」問題か?
ここで留意したいのは、問題は「個人で見いだしたもの」と「学級で個人個人の問題を共有し、教師がそれらの問題のいいところを紡いで学級の問題にしたもの」の2つがあると言うことです。教師としては、この2つの違いがあることを理解しなければ、「個人が見いだした問題」を評価することができません。
学級の問題は、大体「教科書に書かれた問題」に繋いでいけるように工夫するはずです。一方の個人の問題は様々な種類があってよいということになります。授業として余裕があるならば、教科書に載ってる問題だけではなく、様々な児童の問題に対応していけばいいと思います。
(個人の問題と学級の問題は異なって当然。学級として追究するのは学級の問題であり、個人の問題を追究させることを許すかどうかは、教師の力量や時間との兼ね合い、実験道具の環境などによる)
なお、これまでは、「問題の見いだし」はあまり重視されていませんでしたから、様々な問題は出ず、教科書の問題を使って授業を進めていたかもしれません。これからは、児童に問題を見いだすように求めますし、個々の問題を聞くことで、どこまで対応しなければならないのか悩むことになるかもしれません。そのため、導入をしっかり考えておかないと、教師主導の授業になったり、収拾がつかない授業になります。